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NHK教育「芸術への招待」にて鑑賞。オープニングでは鏡(マジックミラー)が幕の代わりとなっており、さらに舞台の大半を占める大階段の左右にもまた鏡が張られております。また、作品はローマが舞台なのですが、演じ手が日本人であること(つまり、あまりに史実に忠実に演じようとして『鹿鳴館』状態になってしまうリスク)を意識しているのか、セットや衣装にも和洋折衷の趣きが凝らされているようです。具体的に言えば、軍人達が腰に差しているのも西洋風の剣ではなく、日本刀風の曲刀でした(そういえば勝村政信演じるオーフィディアスの足元は今の時代に履くようなブーツでした)。こういう手法は何かしらのコンプレックスの類が前に出すぎたりして失敗することがあるのですが、個人的には「失敗かな」とまでは思いませんでした。
もっとも、観始めた当初は衣装もヘンだと思っていたし台詞の間もなんだかキツキツで窮屈だしBGMとか市民や軍人達が階段下りる音とかやたらうるせえしで、どういうわけか半ば泣き出しそうになっていたぐらいでしたが、40分が過ぎたぐらい、客席からも「笑い」が出てくるようなシーンになってからはそういう気持ちが次第に弛緩されていったように思います。この作品も以前触れた本場の「オセロー」同様悲劇なのですが、悲劇だからこそ笑いというものは大事なのだな、とつくづく思います。悲劇だからと言ってただ悲しませるだけでは、エンターテイメントにはならないのです(もっとも、私が悲しくなっていた事情は物語と別のところにあったわけですが……)。そこからはぐいぐい引き込まれ、やはり訳語やBGMの在り方にちょこちょこ疑問を抱えたりもしましたが、楽しく拝見させていただきました。 唐沢コリオレイナスもかっこよかったですが(個人的に、髪の短い唐沢というのが新鮮だったというのもあります)、それ以上にすごいな、と思ったのは、コリオレイナスの母(白石)がコリオレイナスに訴えている状況を見下ろしている勝村オーフィディアスの表情。コリオレイナスとその母とのやりとりの間、オーフィディアスは相当の時間を無言で見下ろしていなければいけないのですが、もちろんただの棒立ちでは済まされない以上、ある意味では喋っていることよりも大変なことじゃないかと思いました。その後の芝居も含め、唐沢とはまた違う良さを感じることができました(そういえばカーテンコールのとき、勝村の感極まったような表情が印象的でした)。 (文中敬称略) |
とりあえず内容はおいておくとして、本の構成として個人的に感心したのは、訳注・注釈を下段につけていること。巻末だとまず読まないですし、かといって丸ごとカットしてしまうのも難しい。以前も触れましたが、シェイクスピアの劇は無背景で、台詞を中心に進められるので、とりあえず台詞を聞いてさえすれば(注釈が無くても)内容は大体わかるのですが、シェイクスピアは英語を活かした言葉遊びが多く、それを日本語にする際、それをどう訳すかが一つの問題になったりするのです。その問題をクリアする意味では、なかなか良い方法ではないでしょうか。訳文はごく最近の訳し下ろしということもあり、本当に今の翻訳、という印象。かといってそれが度を超えているわけでもありませんし、(値段は880円と若干高めですが)広くお薦めできる翻訳ではないかと思います。夏の感想文等にどうぞ。 |
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人から聞いた話ですが、ある雑誌で「新連載・巻頭カラー!」となっていた漫画が載っていなかったんだそうな。同人誌『タオル』みたいなことが、本当にあるものかとビックリでした(わからない人はジャガー13巻を参照)。
☆ ☆ ☆ 「国盗人」のつづき。冒頭のインタビューで、野村氏が「古典だというだけで(今の人から?)区別されることがある」と、そういうことを仰っておりました。これは野村氏だけの主観ではなく、実際問題、「古い」というだけの理由で、文学や絵画、演劇などの古典が拒絶されるということはあるように思います。 そういう意識が働いているのでしょう、ただただシェイクスピアを狂言の立場から翻案したというだけではなく、随所に現代的と言えるアプローチを窺うことができました。例えば照明の使い方がその一例でしょう。そもそも太陽の下で演じられるイギリス古典劇には(おそらく狂言にも)照明を効果として「使う」という発想はありません。それが、この演劇では全体的に照明を暗めにして視点を舞台に集中させたり、斬られるシーンになると赤い照明に変えてみたり、ミュージカル風のシーン(!)では、ダンスホールのように複数・色とりどりの照明を使うなど、そういう技法がちょくちょく目に入りました。 衣装もかなり現代的です。特に主人公・悪三郎の恰好は、それが(せむしであるリチャード三世をベースとする)悪三郎の異様さを際立たせるためのものとはいえ、何かのビジュアル系のように見えなくもありません。 もちろん、これらの現代劇的な手法がひとえに悪いものだとは思いません。ただ、今回はちょっと過剰です。「悪い意味で濃すぎる」と思ったのは、こういう意味においてです。もっと具体的に言いますと、冒頭に挙げた古典をやることへの「コンプレックス」がどうも強すぎるんじゃないかと、そういう風に思いました。 「(観客が)古典を遠ざける」風潮は最初に述べた通り、確かにあるものだと思いますが、それと「(観客が)古典を理解してくれない」ということとはまた別の問題です。その混同あるいは誤解が、古典への信頼、ひいては古典を演ずることへの自信をどこか削っていやしないでしょうか。そしてその帰結として、現代的な傾斜を過剰なものにしたんじゃないかと、そういう風に思いました。 ……割と批判めいた書き方になってしまいましたが、それでも野村萬斎の力量は大したものだと思います。止まらなくなりそうなのでここらへんで止めておきますが、その点だけは一応強調しておきます。 ☆ ☆ ☆ 最近「芸能花舞台」という古典芸能の番組を観ています。観ているというか、点けている程度のレベルですが、最近ひそかに気になっている番組の一つです。昨日は猿若吉代による舞踊でした。今年74になると後で知り、たいそう驚いておりましたよ、と。 |
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お約束どおり(?)『国盗人』をテレビで鑑賞。前回のエントリーで触れていますとおり、シェイクスピアの史劇『リチャード三世』を狂言師である野村萬斎氏が翻案したものですが、現代劇やミュージカルへのミクスチャーも図られているみたいです。
前回のエントリーでは「予告を見る限り微妙」と書いていたのですが、思ったほどには悪い作品では無かったです。なんだかんだ言っても野村萬斎の力量はただものではないと言うか。ただ、最初のうちは観れたのですが、途中から悪い意味で濃いというか、あまりにゴテゴテしすぎているかなという、そういう気はしました。とりあえず頭が働かないのでこんなところで。 |
シェイクスピアの史劇『リチャード三世』(福田恆存訳/新潮文庫)を読む。そういえば、昔ほりのぶゆきが「長嶋三世」というパロディをやっていたことを思い出しました。 *八月十日修正。 |
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昨日のうちに『オセロー』(福田恆存訳/新潮文庫)を読了。劇場中継の翻訳はだいぶ抄訳気味でしたので、「そんなこと言ってたのか……」((c)アンタッチャブル山崎)と感心することしきりでした。私個人的にはエミリア(イアーゴーの妻で、デズデモーナの世話役)の言葉の勇敢さが素敵でした。舞台だとロダリーゴーの間の抜けた感じも好き。
そういえば、今年の新潮文庫の夏の100冊にはシェイクスピア作品は入っていないようです(角川、集英社等は未確認)。確かに「戯曲文学」というのは減ってきているようですし、詩劇という性質上サラサラと読むというわけにはいかないのでしょうけど、『ロミオとジュリエット』(中野好夫訳/新潮文庫)ぐらいは入っても良かったかな、と思います。 あとそういえば昨日は『小林賢太郎戯曲集 椿・鯨・雀』(幻冬舎文庫)の発売日でした。昨日のうちに購入。実際の上演との比較が面白いと思います(レンタルショップ等でどうぞ)。 昨日の「ゴッドタン」はアドリブ演技選手権とか、そういう企画。途中から見たのですが、劇団ひとりが「結婚式のスピーチ」(というお題)で花嫁を拉致したり他の出演者を巻き込んだりと大暴走しておりました。最後に流れた名曲「I for You」(Luna Sea)を聴きながら、「最初から録画すりゃよかった……」と軽く後悔しました。 |
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お久しぶりです。
コメント、拍手コメントありがとうございました。 また機会があったら書こうと思いますので。 * * * 谷崎潤一郎の『痴人の愛』を読む。全体で見れば面白く読んだほうだと思いますが、決着のつけかたに釈然としないものがありました。「記録」にはなっているんですけど、「物語」にはなっていないんですね。たとえば、ずっと昔に読んだ『ゲバラ日記』(チェ・ゲバラ/角川文庫、中公文庫など)はボリビア政府によってゲバラの身柄が拘束され、そのことが読者に周知されていることによって、「記録」が「物語」としての成立を見ているように思いました(もっとも、このことは日記自体からは浮かびあがらないのですが)。しかし、『痴人の愛』には「記録」を「物語」にするための決定打に欠けているように思います。例えばこれを芝居や映画として上演しようとなると、この部分を検討しなければいけなくなるのではないでしょうか。「原作ものにはそういうアレンジがつきもの」と言われてしまいそうですが、できればそういうのを無しで行けるような、強い「原作」であって欲しいな、というところです。 ちなみに、私が思いついたのは「この文章を終えたのち、毒を飲む」という決着のつけかたでした。安易といえば安易ではありますが、作品の一つのキーワードである「獣性」から逃れるには、それぐらいしか方法がないかな、ということで。 あと、昨日BSハイビジョンで映画『ロミオとジュリエット』(オリビア・ハッセーがジュリエットを演じているやつ)がやっていて、後半の20〜30分だけ見ました。原作を知っているだけに(展開を知っているだけに)、見るのが少々つらかったですが、この迫力はやはりシェイクスピアならではかな、という気がいたします。ヴェローナ国の太守が最後に"All are PUNISHEDD!"(皆が罰せられたのだ!)と大声で叫ぶのですが、劇中だけに収まらない、台詞のスケールの大きさを感じました。 ちなみに、ちょうどその裏(しかも同じNHKのBS2)で、市村正規と篠原涼子による『ハムレット』がやっていました。「モヤさま」を優先してしまったため、ちょっとしか見なかったんですが、やはりこちらにも独特の迫力が演者たちにありました。あと、ちょっと前に讀賣新聞で読んだのですが、ホリプロの男性俳優たちが『お気に召すまま』を、野村萬斎が『リチャード三世』を翻案上演していたんだそうな。ちょっと前に日本テレビでシェイクスピアの翻案ドラマをやっていましたし、最近はシェイクスピアブームなのでしょうか。「400年はブームが続いている」とか、そういうことを言われてしまいそうですが。 とりあえず、こんなところでしょうか。光一クン&中丸クンによる「スシ王子!」が色々な意味で気になるかろでした。 *「モヤさま」……「モヤモヤさまぁ〜ず2」のこと。さまぁ〜ずと「アド街」の大江アナが、新高円寺や北赤羽といった、都内の「何もない」町の商店街等をブラブラする番組。 *「スシ王子!」……天才寿司少年と呼ばれつつも親の死をきっかけに寿司を握れなくなり、自然流琉球唐手を学ぶ主人公がその道をきわめるため、再び寿司の鍛錬に励むドラマ。 |
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